「雪景色の高野山〜前編〜」の続きです。
深夜に壇上伽藍と金剛峯寺を一通り撮影し終え、少し車中で仮眠をしたあとはいよいよ奥の院へ。
本当は早朝6時の生身供を撮りたかったのですが、まだ時期的に陽が昇るのが遅く、使っているカメラが高感度に弱くて厳しいかもという判断で10時30分の生身供を撮ることにしました。
生身供とは
生身供は「しょうじんく」と呼びます。835年に弘法大師空海は奥の院にある御廟へ入定しました。入定とは簡単に言えば修行のことで、永遠の瞑想に入ることを言います。そして空海は今なお生き続け瞑想を続けている、とされています。その瞑想を続けている空海に食事を届ける儀式が生身供です。1日2回、6:00と10:30に行われます。空海が835年に入定してから現在までの約1200年間、1日も欠かさず行われてきた儀式です。
10時30分の生身供までかなり時間があるのでいろいろ撮影したり、奥の院にある御廟へ拝観したり(御廟橋から先は撮影禁止です)しました。
早朝から天気は回復して清々しく、前日に降り積もった雪と冷えた空気によって凛とした雰囲気がありました。
早朝、ほとんど人がいませんでした。撮影したのは祝日だったのですが、コロナウイルスの影響なのか人は少なかったです。高野山は世界中から人が集まる人気のスポットなので、内心ビクビクしながら撮影に訪れたのですが、この日は外国人観光客を見かけることはほとんどありませんでした。特にアジア系の人は全く見かけませんでした。こういう場所で中国語、韓国語が聞こえてこないことが今となっては逆に珍しい。
薄っすら積もった雪がとても良い雰囲気を出してくれています。この引き締まるような空気感がたまらない。
いいですねこの感じ!ここは本当なら人を入れたい構図。でもソロ撮影だし仕方がない。どちらかと言えば集団で撮影に行くより、ソロの方が好きです。みんなで絶景を共有するよりも一人で絶景を噛み締めたい派。根暗なのかな?でもソロで撮影に行くと構図に人を入れたいときに困る。
薄明時間帯に行って石灯篭に灯りがともっている時に撮ったほうが雰囲気あってよかったのかも。
そして今回のメイン?生身供の様子です。
弘法大師空海へ食事を運ぶ前に、嘗試(あじみ)地蔵で味見をしていただく儀式の様子です。真ん中にいらっしゃるのが維那(いな)と呼ばれる高僧です。食事を先導し、空海に食事を届けることができるのはこの維那だけなのです。
先ほども言いましたが、この日は祝日でした。「めっちゃカメラマン来るんだろうな〜」と、ある程度の覚悟はしていたのですが、一眼レフで撮っていたのは自分を含めて僅か3人。すごく少なかったです。恐るべしコロナウイルス。
普段、動体を撮影することが無いのでちょっと設定に戸惑いました。あとは天気がすごく良かったので太陽光が差し込み、コントラストが強かったのも設定を難儀させた原因の一つですね。個人的には曇っていて欲しかった。もっと欲を言えば雪が降っていて欲しかった。これは次回の楽しみですね。
にしても自分の使っているカメラは連写遅くて辛かった。。。
あとこの御廟橋から先は聖域のため撮影は厳禁です。
この階段を登り切って空海に食事を届けます。
届けてから20〜30分したら戻ってくるわけですが、これが約1200年間休まず毎日2回続けられているって本当に凄いですね。
今年は暖冬でなかなか雪が降り積もりませんが、この雪が積もった少ないチャンスに高野山で撮影してきました。
この日は金剛峯寺の職員の方とお話する機会があって、最近の撮影マナーが非常に悪いということを聞きました。撮影者が生身供の進路先に割り込んだりといった事もあったそうです。その撮影マナーの悪さに金剛峯寺から苦情が出ているとも聞きました。この日は御廟橋の上から写真を撮っている年配の人いましたね。。。
マナーの悪さで撮影禁止にならないか心配です。
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